2006年9月30日 土曜日
| 鎮座地 | 千葉県香取市香取1697-1 |
| 主祭神 | 経津主大神 (ふつぬしのおおかみ) |
| 宝物・文化財 | 国宝: 「海獣葡萄鏡」 重要文化財: 本殿、楼門、「古瀬戸黄釉狛犬 (こせとおうゆうこまいぬ)」 / 県指定重要文化財: 鉄燈篭 |
| 備考 | 下総国一の宮、延喜式名神大社、旧官幣大社 / 神木: 杉 |
神宮に向かう車道に一の鳥居がある。近くのコンビニに車を停めて撮影。
現地到着。ジャージ姿の学生たちが大勢いて驚いた。
駐車場から土産物屋の間を歩いて参道入口へ。
朱塗りの二の鳥居が参道入口。ジャージの学生が騒々しいので、まずい日に来たかと心配になった。
駅伝ランナーと並走して応援する生徒たちが駆けていく。まさに青春。
参道にはそぐわない一瞬の熱気に面食らったが、とりあえず参道を進んだ。
緩やかにカーブする参道をしばらく歩くと、三の鳥居と総門が見えてくる。
鳥居の右手は神徳館。
三の鳥居をくぐり、石段の上の総門に向かう。
学生の姿もなくなって、やっと静かになった。
石段の左右には立派な狛犬。台座には「皇尊」の文字。
台座に「神敬」と彫られた方の狛犬。
総門をくぐる。
総門をくぐると正面に手水舎がある。
右に進むと重文の楼門がそびえている。
朱塗りの楼門は見栄えがよく実に見事。元禄13年(1700)に本殿と共に徳川綱吉により造営された。楼上の額は東郷平八郎の筆。
門の手前にはある「黄門桜」とよばれる徳川光圀手植えの桜。
諏訪神社の末社もあった。
楼門内安置の随身。正面向かって右の老人像は竹内宿祢と云われている。
左の壮年像は藤原鎌足と云われている。
これまた楼門内安置の木彫の神殿狛犬。
神殿狛犬は、習志野鉄道隊駐屯地内の神社から戦後に移された。
楼門をくぐると正面に社殿がある。
社殿の建築様式は、本殿の前に拝殿を置き、その間を幣殿・石の間で繋げた権現造となっている。一目見て素晴らしいと思える品格があった。
昭和15年(1940)に国費をもって改築された拝殿は、黒漆喰塗りの三間社流造。
極彩色の装飾があでやかで、黒地に金がよく映えている。
桃山様式のあでやかさと、檜皮葺(ひわだぶき)屋根の質素な重厚感がうまくバランスし、現代的な雅さがある。
拝殿の中の様子。
拝殿の後ろにある本殿。様式は三間社流造に後庇を加えた両流造りで、屋根は切妻造檜皮葺。
本殿は楼門と共に重要文化財に指定されている。
本殿脇にある巨大な三本杉。
三本杉の背後にあった神饌所。
海上自衛隊練習艦「かとり」の錨(いかり)。艦の除籍記念として、艦名の由来である香取神社に奉納された。
たまに似たようなものを見るけど、何だろう?
神札授与所。お守りを購入した。
社務所。
御神木は推定樹齢千余年の大杉。
祈祷殿(旧拝殿)。これも徳川綱吉の造営。
引き返す頃には参拝者の姿が増えてきた。
三の鳥居の脇にある神池。
地震を起こす鯰を抑えていると云われる「要石」と奥宮も見て帰ることにした。
二の鳥居の手前で護国神社の参道へ入る。
鳥居をくぐり護国神社の脇を抜けていく。
石垣に囲まれた「要石」。
当社の要石は凸形、鹿島神宮の要石は凹形をしており、 地下で繋がっているとも云われる。
二の鳥居前の駐車場脇から狭い坂道を登ると、経津主神の荒魂を祀る奥宮が鎮座している。
こちらは来る人は少ないようで、ひっそりとしていた。
奥宮の社殿は、伊勢神宮の古材を用いて造られた。祭神は経津主神の荒御魂(あらみたま)。
参拝後は、次の目的地である鹿島神宮へ向かった。
週末の天気が不安定なので、山登りではなく、神社めぐりをすることにした。早朝6時に出発し、昼過ぎには戻るつもりだったが、香取神宮の鎮座する佐原市は思いのほか遠かった。標識などの案内が少なく道に迷ってしまったこともあり、神宮に着いたのは10時半を回っていた。
香取神宮の創建は神武天皇18年(紀元前642)頃と云われ、鹿島神宮(常陸国一の宮)と並ぶ東国最古の神社である。 祭神は、鹿島神宮の祭神・武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)を伴って出雲国に天降り、大国主神(おおくにぬしのかみ)に国譲りを承諾させた経津主大神(ふつぬしのおおかみ)であり、剣を神格化した武神と考えられている。平安時代の「延喜式」で神宮号が許されているのは、両神宮と伊勢神宮だけであり、当時から朝廷の崇敬あつい古社であったことがうかがえる。