2006年9月30日 土曜日
| 鎮座地 | 茨城県鹿嶋市宮中2306-1 |
| 主祭神 | 武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ) |
| 宝物・文化財 | 国宝: 「直刀」金銅黒漆塗平文拵 附刀唐櫃 (「ちょくとう」 こんどうくろうるしぬりへいもんこしらえ かたなからびつつき) 重要文化財: 本殿、石の間、幣殿、拝殿、仮殿、奥宮、桜門、「梅竹蒔絵鞍」 |
| 備考 | 常陸国一の宮、延喜式内明神大社、旧官幣大社 / 神木: 杉 |
香取神宮から車で約30分、有料駐車場を利用。
茨城特産・みかげ石製の大鳥居をくぐって参道へ。
参道は楼門までまっすぐ東にのびて、さらには奥宮まで続いている。
ちらほらと参拝者の姿があった。
総朱漆塗りの二階建ての楼門は、寛永11年(1634)に初代水戸藩主・徳川頼房により奉納された。頼房公は水戸黄門光圀公の父親。
国の重要文化財であり、熊本県阿蘇神社、福岡県筥崎宮と並ぶ日本三大楼門の一つとされている。
神額は香取神宮と同様、東郷平八郎の直筆による。
楼門内に安置された随身像。
随身像の裏側には、よく分からない図柄の設置物があった。
軒下には鳳凰などの彫刻が施されていた。
楼門をくぐると参道の左手に社務所や宝物館あった。
帰る時に寄った宝物館。国宝の「直刀」は、柄・鞘を含めて全長271cm、刃長223.5cm。奈良末期から平安初期の制作。現存する伝世品では最古のひとつとのこと。(※ 宝物館は平成30年より休館中)
参道の右手には拝殿と本殿。本殿が参道の正面にないという珍しい配置になっていた。
社殿は元和5年(1619)、二代将軍・徳川秀忠により奉納された。拝殿・幣殿・石の間・本殿のいずれもが国の重要文化財。
拝殿の中の様子。拝殿は白木作りの簡素な意匠。
拝殿の横から見える極彩色鮮やかな本殿と、樹齢1,200年と推定される御神木。後ろの鏡石は見えなかった。
本殿が北向きに建てられているのは北に対する守りのためと云われる。
祭神を一時的に遷す仮殿。これも秀忠により奉納された。
仮殿があるのは、伊勢神宮同様、鹿島神宮の社殿が20年ごとに造営されていたため。
掃き清められて、落ち葉一つない奥参道。
両脇に巨樹古木が鬱蒼と繁り、神域として申し分のない雰囲気を醸し出していた。
神社によくある「さざれ石」だが、鹿島神宮のさざれ石はとても立派だった。
奥参道脇に鹿園があった。
娘は神の使いとされる鹿たちに、恐る恐るエサを与えていた。
気持ちのいい奥参道をさらに進む。
簡素な総白木作りの奥宮に着いた。こちらも国の重要文化財。
1605年に徳川家康が本殿として奉納したが、1619年の造替に伴い、場所を移し奥宮となった。
奥宮の先は左右に分かれており、の右手へ進むと祭神が大鯰を抑えている石碑があった。
さらに進むと「要石」が祀られていた。
要石は地中深くまで続く巨岩と云われ、水戸光圀公が七日七夜掘っても掘りきれなかったと伝えられている。
要石を見た後は来た道を戻った。
それにしても神域が広い。
奥宮まで戻ってきた。
まっすぐ進んで坂を下ると御手洗池。池の前には団子屋がある。
御手洗池。
御手洗池は古くからみそぎの場で、大人が入っても子供が入っても水面が胸の高さを超えないと云われる。
池には鯉がたくさん泳いでいた。
池の水は驚くほど透明で、泳いでいる鯉が水中とは思えないほどよく見えた。
池はかんばつにも絶えることのない霊泉として知られ、この日も容器持参の人が水を汲みにきていた。
手洗口の鳥居周辺は、とてものどかな雰囲気。
帰る頃には人が増えてきた。
奥宮にも団体参拝者の姿があった。
高崎の祖父母にお札を購入。
帰りの運転は長くてしんどかったが、義務を果たしたような充実感があった。
創建が神武天皇即位の年(紀元前660)と伝えられる関東屈指の古社。御祭神の武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の命を受けて出雲国に赴き、建御名方神(たけみなかたのかみ=諏訪大社の祭神) を降伏させて大国主神(おおくにぬしのかみ=出雲大社の祭神)との国譲りの交渉を成功させた神であり、神武天皇東征の折りには、国を平定する神剣として、布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)を献じて東征を助けた建国の神とされる。神剣から生まれた武神として武家の崇敬も篤く、藤原氏の氏神でもある。
12年ごとの午年に行われる式年大祭(御船祭)は、鹿島神宮の祭神である武甕槌大神と香取神宮の祭神である経津主大神が水上で出会う祭典であり、水上の祭としては国内最大規模を誇る。