2006年8月22日 火曜日

 夏休み旅行初日の夜はずっと雨。2日目の天候回復を願っていたが、山頂の展望は期待できそうもないので、早朝4時からガイドブックと長野県地図をたよりに当日の代案を考えた。入館料を払って観るようなところは行く気がしなかったので、多少の雨でも問題ないビュー・ポイントをいくつか回りながら諏訪市まで足を伸ばし、4ヵ所ある諏訪大社を観て回ることにした。

 諏訪大社は出雲大社や伊勢神宮などと並ぶ、わが国最古の歴史を持つ有力神社の1つであり、「古事記」や「日本書紀」にもその名の記述が見られる。日本全国に1万を越えると言われる諏訪神社の総本社で、7年に1度の御柱祭は全国的に知られている。 (ちなみに伏見稲荷大社を総本社とする稲荷神社や宇佐神宮を総本社とする八幡神社は、末社の数が実に3万とも4万とも言われている)

鎮座地 長野県諏訪郡下諏訪町上久保5828
主祭神 建御名方神 (たけみなかたのかみ)
八坂刀売神 (やさかとめのかみ)
宝物・文化財 重要文化財: [上社本宮] 幣殿・拝殿・左右片拝殿・脇片拝殿・四脚門
[下社秋宮] 幣拝殿・左右片拝殿・神楽殿
[下社春宮] 幣拝殿・左右片拝殿、銅印「売神祝神」
備考 信濃国一の宮、延喜式内名神大社、旧官幣大社 / 神木: 一位 (秋宮)、杉 (春宮) / 神体: 御山 (上社)

まずは諏訪大神第一の鎮座地・上社前宮へ。

すぐ近くまで車で上がれた。辺りはひっそりとしていた。

社殿の四隅に立てられた御柱。

7年に1度、寅と申の年に奥山から樅の大木が切り出されて運ばれる。

現人神である大祝(おおほり)の居館である神殿(ごうどの)もここにあったとのこと。

古来は広大な境内だったと推察されているが、現在はその間に道や民家が入ったりしている。

上社本宮。前宮から車で5分。4社の中では最大規模で観光客の姿も多く見られた。

東参道から鳥居をくぐると正面には入口御門がある。

入口御門。その左手には絵馬堂がある。

絵馬堂には紅白の布を巻かれた長い丸太 (メドテコ) があり、これが御柱祭で御柱の前方に取り付けられる。

入口御門に続く布橋を歩く。布橋は37間(約70m)の長細い切妻の橋で、門から幣拝殿までをつないでいる。

布橋左側の四脚門。徳川家康が、国家安泰を祈願して造営寄進したもので、東西御宝殿の間にある。後方が斎庭(ゆにわ)。

右側に見えた神楽殿。

布橋の出たところ。

布橋を出ると右手に北参道側の大鳥居が見えた。もう少し先に行くと参拝所の入口がある。

参拝所の門をくぐると正面に宝物殿がある。

右には待合所と参集殿。

東の奥に参拝所があり右手前には御神紋である梶の木が一本ある。

参拝所へ向かう。

参拝所の左側には朝廷や諸候の祈願を行った勅願殿がある。

参拝所からは斎庭の向こうに幣拝殿と左右片拝殿が見えた。本殿を持たない諏訪造りという独特の様式。

参拝所を出る前にお守りを買った。

娘のくじは小吉。真剣に読んでいた。

参拝所前の階段を下りて広々とした境内を歩く。

西参道側には社務所があった。

北参道側の大鳥居近くにある雷電為右衛門の像。信州出身、16年の現役中254勝10敗という無類の強さを誇った江戸時代の名力士。手形がでかかった。

神楽殿。

神楽殿には龍神が描かれた太鼓が奉納されており、使用された皮は一枚皮では日本最大とのこと。

東参道へ戻る途中に立派な土俵があった。

この土俵で十五夜相撲が行われる。

下社秋宮。下社は諏訪湖北側の下諏訪町にある。

鳥居をくぐり階段を上っていくと神楽殿が見えてくる。

国の重文、三方切妻造りの神楽殿。

下社秋宮の神楽殿は、幕府から内匠の称号を許された立川流二代目・立川和四郎富昌の作。

日本最大級の大注連縄。

神楽殿の内部。

神楽殿前の狛犬は青銅製で日本一の大きさらしい。

神楽殿の奥にある下社秋宮の弊拝殿。これも国の重要文化財。安永6(1777)年に起工され安永10年に落成。

弊拝殿の工匠は諏訪の名匠、立川流初代・立川和四郎富棟。彫刻が見事。

下社春宮。

鳥居をくぐるとすぐ神楽殿が見えてくる。社殿の基本的な構造は秋宮と同じ。

下社春宮の神楽殿。

注連縄は秋宮ほど大きくはなく、全体的に落ち着いた雰囲気がある。落成は1680年頃。

国の重要文化財、下社春宮の弊拝殿。

春宮の弊拝殿は大隈流の柴宮長左エ門が建立。落成は安永9(1780)年。

4つのお社を見終わり帰路に着いた。またいつか訪れたい。