2017年8月1日 火曜日
霧島神宮の起こりは高千穂峰の山岳信仰によるものと見られ、創建は6世紀にまで遡る。当初は高千穂峰の山頂にあったと伝えられるが、度重なる霧島噴火の災厄を受けて炎上・移転を繰り返し、1484年(文明16)、島津忠昌の命により現在の場所へと遷座された。社殿は霧島山中腹の傾斜地から高千穂山頂に向かって配置され、薩摩藩歴代藩主の厚い尊崇と庶民の崇敬を集めてきたが、その後も何度か炎上しており、現在の社殿は1715年(正徳5)の再建である。
明治期の神仏分離令が発令されるまでは西御在所霧島権現と称して、霧島山を中心とした修験僧による霧島六所権現信仰の中心的役割を果たしていた。
霧島神宮の起こりは高千穂峰の山岳信仰によるものと見られ、創建は6世紀にまで遡る。当初は高千穂峰の山頂にあったと伝えられるが、度重なる霧島噴火の災厄を受けて炎上・移転を繰り返し、1484年(文明16)、島津忠昌の命により現在の場所へと遷座された。社殿は霧島山中腹の傾斜地から高千穂山頂に向かって配置され、薩摩藩歴代藩主の厚い尊崇と庶民の崇敬を集めてきたが、その後も何度か炎上しており、現在の社殿は1715年(正徳5)の再建である。
明治期の神仏分離令が発令されるまでは西御在所霧島権現と称して、霧島山を中心とした修験僧による霧島六所権現信仰の中心的役割を果たしていた。