2007年11月4日 日曜日
| 鎮座地 | 群馬県高崎市榛名山町849 |
| 主祭神 | 火産霊神 (ほむすびのかみ)、埴山姫神 (はにやまひめのかみ) 明治以降合祀 / 大山祇神 (おおやまずみのかみ)、御沼神 (みぬまのおかみのかみ)、大物主神 (おおものぬしのかみ)、木花開耶姫神 (このはなさくやひめのかみ) |
| 宝物・文化財 | 重要文化財: 本社・幣殿・拝殿、国祖社・額殿、双龍門、神楽殿、神幸殿、随神門 / 県指定重要文化財: 鉄燈篭 国指定史跡天然記念物: 矢立の杉 / 県指定重要無形民俗文化財: 榛名神社神代舞 |
| 備考 | 式内社 (県社) |
神社に隣接した無料駐車場は満車で、しばらく待った。境内の鳥居をくぐり境内へ。
弘化4年(1847)上棟の「随神門」。入母屋造・銅板葺、正面と背面に軒唐破風付の八脚門。
門の中に安置された武士像。
神仏分離までは仁王門として運慶作の二力士像があった云われる。
禊(みそぎ)橋を渡って参道へ進む。
千本杉と呼ばれる古杉と紅葉に囲まれた参道は、とても雰囲気がよかった。
参道の中程にある水琴窟 (すいきんくつ: 庭園などで造られる流水を利用した音響装置)。
水琴窟の前には茶店があった。
神像が置かれていたので破却を免かれた三重塔。神社とお寺が混在していた頃の名残といえる。
落石防止の屋根が施された参道を進む。
榛名川を挟んだ参道の対岸の紅葉。
落石防止の屋根を出ると神橋があった。
橋の左側は深い谷で「行者渓」と呼ばれている。
神橋の先にある一年中涸れることがない「萬年泉」。
泉の水をいただいて帰ると雨乞祈願になると云われる。
樹齢1000年といわれる「矢立杉」。
樹高55メートル、周囲10メートル余。武田信玄が箕輪城攻めの折、戦勝祈願に矢を立てたと云われる。
川向かいの崖に見える「瓶子滝 (みすずのたき)」。滝の両側の岩が神酒を入れる器 (瓶子) に見えることからそう呼ばれている。
手を洗い、口をすすぐ御水屋。
矢立杉の裏の参道脇にある「神幸殿」。創建は安政6年(1859)。入母屋造・銅板葺・妻入。毎年5月8日に本殿より神輿が渡御し、15日に還御される。
階段を上ると「双龍門」が見える。切り立った「鉾岩」 (別名:ヌボコ岩) と一体化した景観に目を奪われた。
安政2年(1855)建立の総欅造りで、棟梁は群馬郡富岡村(現高崎市箕郷町)の清水和泉。
入母屋造・銅板葺の四脚門で、正面と背面に千鳥破風、四面に軒唐破風付き。
門全体に施された見事な装飾彫刻に目を見張った。彫刻は熊谷宿長谷川源太郎。審美的なこの門を見られただけで、足を運んだ甲斐があった。
4枚の扉にはそれぞれ丸く文様化された登龍・降龍の彫刻が施されており、名前の由来となっている。
羽目板の両面には三国志にちなんだ絵柄が彫られている。金網で遮られているのは残念だが、見事なものだった。
双龍門の典雅な屋根を見下ろす。
双龍門を過ぎると社殿前の広場に出る。
拝殿は入母屋造・銅板葺、正面に千鳥破風、両側面と向拝(ごはい)に軒唐破風をつける。
ここまで意匠に凝った派手な社殿は、初めて見た。ごてごてと言ってよいほど彫り物だらけ。
横から見た社殿。左側が拝殿、右側が本殿で、両者をつなぐのが幣殿となっている。
本殿は隅木入春日造。
建立はともに1791(寛政3)年。
構成は権現造系統の複合社殿で朱と黒の漆塗りとなっている。
室内の欄間、外部の木鼻・廻廊・虹梁 (こうりょう) など、至る所に彫刻装飾が施されている。
向拝柱につながる海老虹梁には、赤と白の龍が巻きついていた。
圧倒的な彫刻群。宗教美術の域を超えて、もはや超絶技巧のアートに見える。
本殿は「御姿岩」に埋め込まれて一体となっており、岩の奥に御神体が祀られている。仏の御姿に御神体が祀られる不思議。日本人の曖昧な宗教観を象徴しているような気がする。
隣の「国祖社」。母屋造・銅板葺、正面千鳥破風、向拝の軒は唐破風で、1725(享保10)年の建造。
もとは榛名山西部の御祖霊嶽(おみたまたけ)にあった神社と云われる。
「額殿」は入母屋造・銅板葺で北面が国祖社に接続している。
額殿前の鉄燈籠は県内最古で、新田義貞寄進と云われる。
「神楽殿」は1764年の建造で、切妻造・銅板葺・正面唐破風。
吹放ちの北面が神楽を演じる舞台で、南面が控えの間となっている。棟梁は佐藤直右衛門。
参道には七福神像が点在していた。長寿の神さま・寿老人。
円満の神さま・布袋。
福徳財運の神さま・福禄寿。
海上・漁業の神あるいは商売繁昌の福神・恵比寿。
音楽・弁才・財福などをつかさどる女神・弁才天。
戦闘神あるいは忿怒神、後に厨房神とされた大黒天。
毘沙門天だけは撮り逃していたので、フリー素材をネットから探してきた。
紅葉を楽しみながら参道を引き返した。
神社を見て回るのに1時間半かかったが、榛名神社は予想以上に素晴らしかった。
正午を過ぎて、駐車場の空きを待つ車がずらりと並んでいた。
第31代用明天皇丙午元年(586年)創祀と伝えられ、927(延長5)年撰の九条家本「延喜式神名帳」に名神小社として記された式内社である。古くから朝野の崇敬厚く、神仏習合により、社僧・社家による管理がなされていた。山麓には多くの分社をもち、中世には修験道の発展とともに修験の場として武家に深く信仰された。徳川時代の末期に至るまで神仏習合の時代が長く続き、東叡山上野寛永寺の管下に属していたが、神仏分離令をきっかけとした明治初年の廃仏毀釈により多くの仏像や経巻類・仏殿が破却され、現在の榛名神社となった。
巨大な奇岩や古杉がつらなる境内は霊場と呼ぶにふさわしい雰囲気があり、意匠を凝らした文化財の数々には目を見張るものがある。時代の変遷を越えて人々の信仰の場であり続けてきた榛名神社の来歴に、重みと面白さを感じた。