高原山 (釈迦ヶ岳)
1,795 m
| 登山日/天候 | 2005年5月4日 水曜 / 晴れ |
|---|---|
| ルート所要時間 | 西口登山口7:00→弁天沼8:35→9:45鶏頂山山頂10:35→12:40釈迦ヶ岳山頂13:40→弁天沼15:15→鶏頂山荘16:15 |
| 難易度データ (≒) | 標高差 : 585m / 累積標高差 : 800m / 歩行距離 : 10.5km / 標準歩行時間 : 4時間30分 |
車は道路を挟んだ広い駐車場に停めた。
西口登山口の鳥居をくぐり、いざ出発。
しばらく歩くと開けたスキー場跡に出る。背後に南会津の山々が綺麗だった。
リフトは古くて使われているようには見えない。早朝にもかかわらず何人かの登山者に会った。
リフト終点を過ぎて林に入ると、雪が残っていた。融けかけの汚れた雪に、北海道の春を思い出した。
弁天沼には鳥居と祠があった。
弁天沼からしばらく歩くと上りが始まる。
積雪で登りづらくなってきたので、軽アイゼンを装着した。途中で道が分かりづらくなり、時間をロスしてしまった。
稜線の左(南側)は爆裂火口跡。深く切れ落ちているので慎重に登る。
ヤセ尾根を上る。背後は鶏頂山と釈迦ヶ岳の間にある御岳山。
急登が終わると鶏頂山山頂。
山頂の北側には立派な神社がある。
東側は、目の前に釈迦ヶ岳が大きい。
その右に中岳、西平岳と続いている。
西南西には日光連山。左から男体山、女峰山、太郎山と続き、右端奥には日光白根山も見える。
北北西に七ヶ岳が見えた。西から北にかけては、林が展望の一部をさえぎっていた。
北には真っ白い大日岳と、その手前に博士山が見えた。
北東には大佐飛山が見える。その右奥には、三本槍岳と茶臼岳が見えた。
ちょっと早いが、お腹が減ったのでお昼にした。
お腹も一杯になって下山開始。すれ違う登山者が多くなってきた。
これから越える御岳山を前方に見ながらどんどん下りていく。
笹やぶや雪のアップダウンが続き、御岳山に向かう最初の登り返しとなる。
途中に南側が崩壊しつつあるヤセ尾根が何箇所かある。注意を要する箇所でも娘がなかなかおしゃべりを止めない。
御岳山を越えて、また下りになる。もう一度登り返しがあると分かり、娘は文句たらたらだったが、さほど休みは取らずにすんだ。
途中で、那須の南月山山頂で一緒になったおじさんとばったり会った。 向こうもこちらの顔を覚えていたが、まったくの偶然に驚いた。
最後の登り返しは、下りが心配になるくらい急な坂だった。
八方ヶ原の分岐を過ぎると、山頂は目前。北側が開けた場所に出たので、男鹿岳と大佐飛山をバックに一枚。
釈迦ヶ岳山頂に到着。
西には登ってきたばかりの鶏頂山。ここまで長かった。
西南西には日光連山。
西北西には真っ白な会津駒ケ岳。
北西方面。右に荒海山、中央奥には会津朝日岳。
北北西の七ヶ岳。
北北東には大佐飛山。
南には関東平野が広がっている。
山頂の東端にあった釈迦像。
娘は今回持参した望遠鏡で、ずっとツバメや山を見ていた。
見える見えると大はしゃぎ。
山頂の景色が素晴らしいので、ゆっくり休み過ぎてしまった。時間を気にしながら下山開始。
坂が急なので下りも一苦労。慎重にゆっくり下りていく。
急な下りが終わっても油断できない。サイドが切れ落ちた稜線が続くので、声をかけながら注意して歩いた。
しばらくすると、御岳山の登り返しが始まった。アップダウンが足腰にこたえる。
御岳山を越えてすこし下ると、弁天沼へ至る分岐となる。
登りと違うこのルートは、沢を利用した近道らしい。雪道に残された足跡をたよりに下っていく。
開けた場所にでると弁天沼の鳥居はすぐ。
短い休憩を取って、緩やかに続く往路をゆっくり歩いた。
広いゲレンデを歩く頃にはもうクタクタ。おしゃべりをしながら歩く嫁と娘に引き離されてしまった。
最後に道を間違えて、西口登山口ではなく鶏頂山荘に出てしまった。
山荘入口の鳥居に荷物を置いて、車を取りに戻った。
帰りの高速は渋滞。睡魔に襲われ、パーキングで2度休んだ。心底疲れました。
連休の山登り第2弾は、高原山へ。早朝3時半起床、4時20分出発。東北自動車道・西那須野塩原ICから日塩もみじラインを通って、現地には6時40分に着いた。 休憩を含めて7hくらいの行動時間を予想していたが、コース・タイムに無理があるのではないかと思えるくらい時間がかかってしまった。鶏頂山から釈迦ヶ岳への2度にわたる 登り返しはきつかったが、山頂の展望はその苦労を補うに余りある素晴らしさだった。
帰りのもみじラインは、新緑を眺めながらの運転となったが、その美しさに驚いた。まさに目からうろこ。もみじの新緑がこんなに綺麗なものだとは知らなかった。 高速は連休Uターン渋滞に巻き込まれ、結局帰宅は10時半過ぎとなったが、全てをひっくるめて、大型連休にふさわしい充実の1日であった。